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・・・ SOMNIUM ・・・ SLR690
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Category: SLR690
B79 駝鳥のボトル
@Olga
妹や新しく知り合ったAさんにセッションをしてもらい、何度か繰り返して現れた
B79「駝鳥のボトル」を使ってみることにした。
色は美しい豊かなオレンジと紫色で、取り寄せてもらったボトルを目にした途端、
ワァーと思わず見惚れてしまった。
B79:駝鳥のボトル
メインテーマ:「霊的なショック - 内面からの深い癒し - 「エーテル ギャップ」のための強力な治療薬」
アファメーション:「私は人生の挑戦を、喜んで受け入れます」
第二チャクラ&クラウンチャクラ、対応するタロットカードは「魔術師」
「思考がフィーリングに支配されてしまっています。降伏しようとせず、駝鳥のように
逃げ出したくなります。古い心の傷を抱えています。霊的なことを教えてく れる師に、
失望していることがあります。とても大切な人を亡くして、深いショック状態にあります。」
霊的レベル:スピリチュアルなショックを解放します。ショックの中に含まれていた情報をもたらし、
それを統合していくことができます。そして、深い内なる成長を促します。
精神的レベル:古いパターンを手放すことを援助し、潜在能力が発揮できるようになります。
感情的レベル:依存、相互依存が関わる人間関係を癒します。自立と、自分を愛することを促します。
身体的レベル:性的な問題、特に罪悪感がからんでいる問題に効果があります。
特質: このボトルは、自分自身の死、あるいは友人や親戚の人などの死と
立ち向かっている人であることを指摘してくれます。中毒から自由になれます。
また過去世セラピーでは、古代エジプトの過去世とつながることを助けます。
駝鳥というのは敵に追いつめられると砂に頭を突っ込む習性があるのだそうで、
(敵を)見ない、見えないイコール「いない」「敵は消えた」ということにしてしまうのだとか。
それを初めて聞いたときは「駝鳥ったらなんて可愛い!」と思ってしまったけれど、
それはつまり恐怖のあまり現実から目をそらし、みずから身を危険にさらす行為を示している。
たしかに私にはそういうところがあると思う。
大部分では「たとえ辛くても本当のところを見たい、知りたい」と考えているし、勇敢でもあると思うけれど
本当の本当の深い部分、ほんの一握りの部分で、強烈な逃避願望を持っている。
それが逃げだと分かっていても、自発的に意識を麻痺させて、そう感じさせないようにしている。
麻痺の感覚は中毒に繋がる。
私はもう13年もニコチン依存症でいる。
それから「エーテルギャップ」を調べてみると、人の魂は口からではなく身体の左側から抜けるのだそうで、
何か大きなショック(死に至るような)を経験すると、生命エネルギーがそこへ移動するのだとか。
(その場所をエーテル・ギャップという)
それでふと思い出したのは、何度か幽体離脱をしたとき、中身が左側からぐるっと抜け出したという体験。
普段から目をつぶると常に左側からものを見ている、という感覚が強くあったので、やっぱり自分は左端に
寄っているんだなあと思っていたのだけれど、今になって「そういうことだったのか!」と驚いている。
そういう自分が何の気なしに、何度もこのボトルを選んだということに、ちょっと寒気がする。
それでボトルはどうかというと、妹から受け取り左手で振った瞬間、本当に一瞬で、
オレンジ色の上層部がぐだぐだに濁ってしまった。
さっきまであんなに美しかった液体が、下水のように気持ち悪く混沌としている。
それを見てショックというより、俄然面白くなってしまった。
そうやって反応が出るというのは何がしかの作用が生れている証だろうし、「振ることで
その人のエネルギーになる」という説明が、目で見て理解できたからだった。
そして「依存・自立」というテーマについて。
これは私がとても強くフォーカスしているテーマで、これまで何度も何度もこのことについて
深く考えさせられている。
うまく説明はできないけれど、私は”不自由であること”を何より嫌う一方で、ある意味それに依存している。
「一度檻に入れられてしまえば、これ以上檻に入れられることはない」とでもいうか・・・
矛盾しているようだけど、私の一部分はこの信念に従って行動していると感じる。
「捕らえられるくらいなら、自分から進んで囚われる」
死よりも辛い不自由をおそれるあまり、真の自由を追求することを最初から諦めていたのだろう
色々な救済が重なり、ここに来てようやくそのおかしな信念を手放そうとしているのだと思う。
そしていわずもがなのセクシャリティについて。
これについてはもう考えることすらやめていたけれど、最近になって解決の糸口が見えてきた。
人間として、肉体的な問題としてセクシャリティを扱うのではなく、
まずは創作の部分でその本質に馴染むということ。
しばらく前から作業中、得体の知れない「うねり」に包まれることが多くなっていて
それは「神聖な恍惚」としか表現しようのないもので、おそらくは私の本能的な命の躍動なのだと思う。
それは創造性や私の能力、もっと自由な自己表現、カリスマなどに直結するものであり、
それに対する私の恐怖や抵抗を取り除けたとしたら、存在そのものが変化するだろうという気がしていた。
だからもう、駝鳥のように逃げるのはやめると決めたのかもしれない。
肉体表現としてのセクシャリティはまだ無理でも、避けようのない「創作」というフィルターを通せば、
私はきっとこの恐怖を乗り越えられるのだと思う。
私という存在を統合するために、B79のアファメーションを今心から唱えているのだと思う。
そういえばこないだ創造の源との一体感を経験してから、ふと考えたことがある。
人があれほどまでに性的な快楽を追い求めるのは、本当はこの感覚を取り戻したいと
願っているからなのではないのだろうか、と。
神と呼ばれるもの、自分の源泉、最高最善の大いなる源、と繋がっている実感を切望する人間は、
それにちょっと似ている性的快楽をその代用としているのかもしれない。
そう考えれば、微笑ましいと言えないこともない。
ボトルを使い出して3日目の今日、突然オレンジ色の濁りが綺麗になっているのに気付いた。
境界線の部分にまだ膜は残っているけど、あれだけ浮遊していた変な澱がなくなっている。
一日一シータ運動をしていることもあり、変化は目に見えないスピードで進行しているのかもしれない。
シータにしろオーラソーマにしろ、助けがあるというのはなんて素晴らしいことだろうと、日々思う。
あれほど孤独な一匹狼をきどっていた私が、今では独りでないことに心から感謝している。
そして今日、オーラソーマの創始者ヴィッキー・ウォールさんの本を読み、
彼女と誕生日が同じであることを知った。
ただそれだけのことだけど、楽しくわくわくした気持ちになった。
bye
@Olga
2週間に1回くらいの割合で、卒業式の夢を見ていた。
私はもうとっくに卒業したはずだよなあと思いながら、ロッカーや机の整理をしている。
いつも、式が終わったあとの、別れを惜しんで泣いたりかんだりというところも過ぎたあとの、
どんどん暗くなっていく教室で
私は溜めに溜めた荷物が多すぎて、帰ることができずにいる。
脳内を調べたら細胞のなかに、「私はまだ卒業していない」という思い込みが入っていた。
それを「私は無事卒業しました」に書き換えてもらったら、夢のニュアンスが変わった。
いつもはただひとり残されることに焦って焦って、
私だけ皆と一緒に行けない、早く帰りたいと大荷物相手に格闘していたけど
今日見た夢は何だか少し違っていた。
卒業式の日の学校というのはまったく同じ、でも教室には生徒がいっぱいで
誰も泣いていないし楽しく笑いあっていて、ただ時間が来るのを待っている。
その中に、私がずっと好きだった男の子がいて、何だか一人厳しい顔をしていた。
彼はリーダーで、責任があるから 私たちのように呑気ではいられないのだと感じた。
その彼が何かで呼ばれて、私に鍵を預けていった。
私達は気まずいのに、よく私に預けたなあと変な感心をしていた。
彼は帰ってくると、鍵をあるべきところに戻してと言う。
どこ、と聞くと、黒板の横を指差した。
私はそうだったのかと思い、「私33年も知らずに生きてたよ」と打ち明けた。
鍵をフックにかけた途端、どうにも悲しくてしょうがなくなった。
今日卒業してしまうことがまるで耐え難いことのように感じた。
卒業したら私は大きく変わることになるだろうし、彼も私ももう制服は着ないだろう
とにかく今日が最後なんだと思ったらどうしようもなく泣けてきて、
もう逃げずにきちんと話さなければと思った。
振り向くと彼はまだそこにちゃんといて、私達はごく短い会話をした。
彼は現実になにか大きなものを背負っているのだろう。
私にできることがあればと思ったが、この道が交差することはないということも分かっていた。
目が覚めてから何となく、彼は外国へ行くのかもしれないなあと思った。
実際には私より長身なのに、今日の夢では私の半分ほどでとても小さかった。
最近では彼を思い出すこともなくなっていたし
私の中であの教室は、もう暖かく空っぽなのかもしれない。
キネシオロジーテストをしてみると、「私はまだ卒業していない」は消えていた。
その代わり、「私は卒業したくない」というのが入っていた。
つまりその選択は、既に自分に委ねられている。
実際には当然卒業はしているし もう33だし
だけど私の気持ちの上では、自分自身に卒業を許されることを、ずっと待っていたのかもしれない。
実際には、学校なんて大嫌いだった。
でも嫌いなものに自分から縛られることで、前に進むのを拒否していたのかなと思う。
ずっと好きだった男の子はたぶん二重構造で、私の過去の象徴でもあり
それが自分では決して乗り越えられない壁だと、諦めて安心したかったのかもしれない。
どうであれ
こうと思った瞬間からそれは過去になっていくし、私はまだまだこの先が見たいので
近いうち、自分に卒業を許してあげようと思う。
そう思う側からなんだか、今朝の夢の詳細すらぼやけていくような気がする。
Bloom
@Olga
POLAROID SLR690
Bloom
@Olga
POLAROID SLR690
Trees
@Olga
アパートの敷地の一画に、ちょうど建物ひとつ分の木立があって
なんとなく毎日眺めている。緑色はやはり目に優しいと思う。
宮部みゆきの時代物にはまり、明けても暮れても本ばかり読んでいる。
もともと時代劇や捕物帳は好きだし、江戸の粋に思いを馳せつつ
「古地図ライブラリー 江戸東京散歩」という本を買った。
現代の東京と、昔の江戸の地図が、見開きで比較できるようになっている。
東京は苦手にがてと思っていたけど、私が歩いた東京なんてほんの一部でしかない。
もしまた関東に住むことになったら、八丁堀だの雑司が谷だの深川だの歩いてみたい
ここを出て、もっと広い世界を見てみたい
Green
@Olga
POLAROID SLR690
灯
@Olga
POLAROID SLR690
足
@Olga
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B79 駝鳥のボトル
妹や新しく知り合ったAさんにセッションをしてもらい、何度か繰り返して現れた
B79「駝鳥のボトル」を使ってみることにした。
色は美しい豊かなオレンジと紫色で、取り寄せてもらったボトルを目にした途端、
ワァーと思わず見惚れてしまった。
B79:駝鳥のボトル
メインテーマ:「霊的なショック - 内面からの深い癒し - 「エーテル ギャップ」のための強力な治療薬」
アファメーション:「私は人生の挑戦を、喜んで受け入れます」
第二チャクラ&クラウンチャクラ、対応するタロットカードは「魔術師」
「思考がフィーリングに支配されてしまっています。降伏しようとせず、駝鳥のように
逃げ出したくなります。古い心の傷を抱えています。霊的なことを教えてく れる師に、
失望していることがあります。とても大切な人を亡くして、深いショック状態にあります。」
霊的レベル:スピリチュアルなショックを解放します。ショックの中に含まれていた情報をもたらし、
それを統合していくことができます。そして、深い内なる成長を促します。
精神的レベル:古いパターンを手放すことを援助し、潜在能力が発揮できるようになります。
感情的レベル:依存、相互依存が関わる人間関係を癒します。自立と、自分を愛することを促します。
身体的レベル:性的な問題、特に罪悪感がからんでいる問題に効果があります。
特質: このボトルは、自分自身の死、あるいは友人や親戚の人などの死と
立ち向かっている人であることを指摘してくれます。中毒から自由になれます。
また過去世セラピーでは、古代エジプトの過去世とつながることを助けます。
駝鳥というのは敵に追いつめられると砂に頭を突っ込む習性があるのだそうで、
(敵を)見ない、見えないイコール「いない」「敵は消えた」ということにしてしまうのだとか。
それを初めて聞いたときは「駝鳥ったらなんて可愛い!」と思ってしまったけれど、
それはつまり恐怖のあまり現実から目をそらし、みずから身を危険にさらす行為を示している。
たしかに私にはそういうところがあると思う。
大部分では「たとえ辛くても本当のところを見たい、知りたい」と考えているし、勇敢でもあると思うけれど
本当の本当の深い部分、ほんの一握りの部分で、強烈な逃避願望を持っている。
それが逃げだと分かっていても、自発的に意識を麻痺させて、そう感じさせないようにしている。
麻痺の感覚は中毒に繋がる。
私はもう13年もニコチン依存症でいる。
それから「エーテルギャップ」を調べてみると、人の魂は口からではなく身体の左側から抜けるのだそうで、
何か大きなショック(死に至るような)を経験すると、生命エネルギーがそこへ移動するのだとか。
(その場所をエーテル・ギャップという)
それでふと思い出したのは、何度か幽体離脱をしたとき、中身が左側からぐるっと抜け出したという体験。
普段から目をつぶると常に左側からものを見ている、という感覚が強くあったので、やっぱり自分は左端に
寄っているんだなあと思っていたのだけれど、今になって「そういうことだったのか!」と驚いている。
そういう自分が何の気なしに、何度もこのボトルを選んだということに、ちょっと寒気がする。
それでボトルはどうかというと、妹から受け取り左手で振った瞬間、本当に一瞬で、
オレンジ色の上層部がぐだぐだに濁ってしまった。
さっきまであんなに美しかった液体が、下水のように気持ち悪く混沌としている。
それを見てショックというより、俄然面白くなってしまった。
そうやって反応が出るというのは何がしかの作用が生れている証だろうし、「振ることで
その人のエネルギーになる」という説明が、目で見て理解できたからだった。
そして「依存・自立」というテーマについて。
これは私がとても強くフォーカスしているテーマで、これまで何度も何度もこのことについて
深く考えさせられている。
うまく説明はできないけれど、私は”不自由であること”を何より嫌う一方で、ある意味それに依存している。
「一度檻に入れられてしまえば、これ以上檻に入れられることはない」とでもいうか・・・
矛盾しているようだけど、私の一部分はこの信念に従って行動していると感じる。
「捕らえられるくらいなら、自分から進んで囚われる」
死よりも辛い不自由をおそれるあまり、真の自由を追求することを最初から諦めていたのだろう
色々な救済が重なり、ここに来てようやくそのおかしな信念を手放そうとしているのだと思う。
そしていわずもがなのセクシャリティについて。
これについてはもう考えることすらやめていたけれど、最近になって解決の糸口が見えてきた。
人間として、肉体的な問題としてセクシャリティを扱うのではなく、
まずは創作の部分でその本質に馴染むということ。
しばらく前から作業中、得体の知れない「うねり」に包まれることが多くなっていて
それは「神聖な恍惚」としか表現しようのないもので、おそらくは私の本能的な命の躍動なのだと思う。
それは創造性や私の能力、もっと自由な自己表現、カリスマなどに直結するものであり、
それに対する私の恐怖や抵抗を取り除けたとしたら、存在そのものが変化するだろうという気がしていた。
だからもう、駝鳥のように逃げるのはやめると決めたのかもしれない。
肉体表現としてのセクシャリティはまだ無理でも、避けようのない「創作」というフィルターを通せば、
私はきっとこの恐怖を乗り越えられるのだと思う。
私という存在を統合するために、B79のアファメーションを今心から唱えているのだと思う。
そういえばこないだ創造の源との一体感を経験してから、ふと考えたことがある。
人があれほどまでに性的な快楽を追い求めるのは、本当はこの感覚を取り戻したいと
願っているからなのではないのだろうか、と。
神と呼ばれるもの、自分の源泉、最高最善の大いなる源、と繋がっている実感を切望する人間は、
それにちょっと似ている性的快楽をその代用としているのかもしれない。
そう考えれば、微笑ましいと言えないこともない。
ボトルを使い出して3日目の今日、突然オレンジ色の濁りが綺麗になっているのに気付いた。
境界線の部分にまだ膜は残っているけど、あれだけ浮遊していた変な澱がなくなっている。
一日一シータ運動をしていることもあり、変化は目に見えないスピードで進行しているのかもしれない。
シータにしろオーラソーマにしろ、助けがあるというのはなんて素晴らしいことだろうと、日々思う。
あれほど孤独な一匹狼をきどっていた私が、今では独りでないことに心から感謝している。
そして今日、オーラソーマの創始者ヴィッキー・ウォールさんの本を読み、
彼女と誕生日が同じであることを知った。
ただそれだけのことだけど、楽しくわくわくした気持ちになった。
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bye
2週間に1回くらいの割合で、卒業式の夢を見ていた。
私はもうとっくに卒業したはずだよなあと思いながら、ロッカーや机の整理をしている。
いつも、式が終わったあとの、別れを惜しんで泣いたりかんだりというところも過ぎたあとの、
どんどん暗くなっていく教室で
私は溜めに溜めた荷物が多すぎて、帰ることができずにいる。
脳内を調べたら細胞のなかに、「私はまだ卒業していない」という思い込みが入っていた。
それを「私は無事卒業しました」に書き換えてもらったら、夢のニュアンスが変わった。
いつもはただひとり残されることに焦って焦って、
私だけ皆と一緒に行けない、早く帰りたいと大荷物相手に格闘していたけど
今日見た夢は何だか少し違っていた。
卒業式の日の学校というのはまったく同じ、でも教室には生徒がいっぱいで
誰も泣いていないし楽しく笑いあっていて、ただ時間が来るのを待っている。
その中に、私がずっと好きだった男の子がいて、何だか一人厳しい顔をしていた。
彼はリーダーで、責任があるから 私たちのように呑気ではいられないのだと感じた。
その彼が何かで呼ばれて、私に鍵を預けていった。
私達は気まずいのに、よく私に預けたなあと変な感心をしていた。
彼は帰ってくると、鍵をあるべきところに戻してと言う。
どこ、と聞くと、黒板の横を指差した。
私はそうだったのかと思い、「私33年も知らずに生きてたよ」と打ち明けた。
鍵をフックにかけた途端、どうにも悲しくてしょうがなくなった。
今日卒業してしまうことがまるで耐え難いことのように感じた。
卒業したら私は大きく変わることになるだろうし、彼も私ももう制服は着ないだろう
とにかく今日が最後なんだと思ったらどうしようもなく泣けてきて、
もう逃げずにきちんと話さなければと思った。
振り向くと彼はまだそこにちゃんといて、私達はごく短い会話をした。
彼は現実になにか大きなものを背負っているのだろう。
私にできることがあればと思ったが、この道が交差することはないということも分かっていた。
目が覚めてから何となく、彼は外国へ行くのかもしれないなあと思った。
実際には私より長身なのに、今日の夢では私の半分ほどでとても小さかった。
最近では彼を思い出すこともなくなっていたし
私の中であの教室は、もう暖かく空っぽなのかもしれない。
キネシオロジーテストをしてみると、「私はまだ卒業していない」は消えていた。
その代わり、「私は卒業したくない」というのが入っていた。
つまりその選択は、既に自分に委ねられている。
実際には当然卒業はしているし もう33だし
だけど私の気持ちの上では、自分自身に卒業を許されることを、ずっと待っていたのかもしれない。
実際には、学校なんて大嫌いだった。
でも嫌いなものに自分から縛られることで、前に進むのを拒否していたのかなと思う。
ずっと好きだった男の子はたぶん二重構造で、私の過去の象徴でもあり
それが自分では決して乗り越えられない壁だと、諦めて安心したかったのかもしれない。
どうであれ
こうと思った瞬間からそれは過去になっていくし、私はまだまだこの先が見たいので
近いうち、自分に卒業を許してあげようと思う。
そう思う側からなんだか、今朝の夢の詳細すらぼやけていくような気がする。
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Bloom
POLAROID SLR690
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Bloom
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→more
Trees
アパートの敷地の一画に、ちょうど建物ひとつ分の木立があって
なんとなく毎日眺めている。緑色はやはり目に優しいと思う。
宮部みゆきの時代物にはまり、明けても暮れても本ばかり読んでいる。
もともと時代劇や捕物帳は好きだし、江戸の粋に思いを馳せつつ
「古地図ライブラリー 江戸東京散歩」という本を買った。
現代の東京と、昔の江戸の地図が、見開きで比較できるようになっている。
東京は苦手にがてと思っていたけど、私が歩いた東京なんてほんの一部でしかない。
もしまた関東に住むことになったら、八丁堀だの雑司が谷だの深川だの歩いてみたい
ここを出て、もっと広い世界を見てみたい
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